165億円の資産を築いた社長の愛読書 ④お金はあの世に持っていけない、その二
2025.2.20
165億円の資産を築いた社長の愛読書の2冊目邱永漢氏「お金はあの世に持っていけない~相続対策できましたか~」の二回目です。
階段は上りつめれば下り階段になる
仕事に追われている人々は、毎日が忙しい日々なので、歳月が過ぎるのに気がつかない。昨日の続きの今日を生きているので、昨日と今日との間でほとんど差がないために、年を取るという感覚もない。昨日、鏡に映した自分の顔と、今日、鏡の前に立っている自分の顔に、これといった違いがないだけに、日一日と過ぎていった果てにいつこんなに年をとったのかと自分でもびっくりするようなことになってしまう。
自分の顔は毎日、見ているので気がつかないけれども、久しぶりに同窓会に行くと、あれっと驚いてしまう。
人の年のとり方は知らず知らずのうちに年をとるように見えても、よくよく観察していると、ガクンガクンという感じで年をとる。それも一週間か、十日で年をとる。若さを維持する活力があって、それがみなぎっている間、風貌も気力も充実しているが、どこかで若さを支えるエネルギーが切れて、突然、地盤が落下するように落ち込む。
延びた最後の二十年が一番問題
人生が描く登り坂と下り坂には、肉体的なものと精神的なものがある。人間の精神と頭脳は、肉体よりずっと開花の時期が遅れる。肉体的には二十歳にもなれば、一人前のオトナだが、知能的にはやっと入口にたどり着いた程度である。杓子定規に年齢別に精神状態を分類するわけにはいかないが、四十歳を成長期の終点、あるいは成熟期の入り口と見てよいだろう。成熟期というとカッコよいが、しばらく平らなところが続いて、あとは下り坂に入る。
つまり肉体的な成長が止まったところから精神的な成長が始まり、精神的な成長が止まったところから、社会的な地位の闘争がはじまる。一口に社会的な地位といっても、役所や企業内でのポストが上がるのもあれば、事業的に成功してお金持ちになるのもあれば、学問的もしくは芸術的な業績を認められて有名人になるというのもある。スポーツ選手や歌手や俳優は若くして有名になったり収入にありつけたりするが、堅気の世界では四十歳を過ぎたころから、やっとスタート・ラインに就く。
実際には、社会的地位への挑戦も残り四十年のうちの半分までである。四十歳から六十歳までの間に勝負の大半がついてしまい、六十歳すぎてからゴールまでの間に残された距離があってもわずかである。
第一に寿命が延びて番外の人生が二十年もあるようになったからであり、第二にお払い箱になった人にも二度のお勤めを要求する仕事が増えたからである。人生において一番問題が多いのは、この最後の二十年であることに間違いない。
お金はあの世に持っていけない、その二で、皆さんはどのように感じましたか?筆者は今年64歳になります。下り階段をガクンガクンと降りていっていることを実感しております。人生100年と口では言っても、残された時間を意識せざるを得ません。165億円の資産を築いた社長も、ひまわりの会の勉強会において、下り階段をガクンガクンと降りているとよく話されます。